一人ひとりの「しんどい」を受けとめる政治家になりたい ―しのだ奈保子インタビュー ―

掲載日:2023.01.01

「もっと愚痴れる社会にしたい。愚痴や泣き言は、困っていることを解決する第一歩だと思うから」

人生に行き詰まり、自分ひとりではどうにもならない困難を抱えた人々の相談に乗り、ともに苦悩しながら歩んできた弁護士、篠田奈保子はこう話す。
篠田が、政治の世界に飛び込むことを決めたのは、一人ひとりの困難がどんどん深刻になっていくのを目の当たりにしてきたから。それは紛れもなく政治のせい。

「景気回復」「株価上昇」「雇用創出」…粉飾された「成果」の影で、今ここに生きる人間を直視しない政治が繰り広げられてきた。

ギリギリまで踏ん張っている人々に、さらなる苦しみを与えるような政治は終わりにしたい。
初めての挑戦に戸惑いもある。それでも、ともに歩んできた一人ひとりを思い浮かべながら、「一人ひとりの困りごとは、政治が解決できるんだ」と奮い立つ。

弁護士時代に交流のあった打越さく良参院議員が、篠田奈保子の経歴や政治への思いを聞き出しながら、困難に寄り添う厳しさについて、女性の政治参加について、実現したい政治や社会について、語り合った。


弁護士には縁のない人々の支援を続けて20年。人生を取り戻すお手伝いを。


打越__篠田さんは弁護士として20年、どんな活動をされてきたのですか?

篠田__自分からは弁護士にアクセスできないような人たちの弁護をしてきました。釧路に戻ってからは「法テラス」のスタッフ弁護士になり、もっぱら国選弁護と生活困窮者の支援がメインです。
多重債務を抱えた人、非正規、ひとり親など、困難を抱えた人の解決すべき課題は1つではなく、複合的で絡み合っています。そもそも生活できる賃金を稼げない、経済的搾取をする親がいる、障がいを持っている、トラウマを抱えている…など、法的支援だけでは済まない事が多いんですね。
生活保護や障害分野の行政サービスにつないだり、行政につながった人の債務整理など法的分野で支援をしたり、行政と連携しながら支援をするという、司法ソーシャルワークの先駆けのようなことをやってきました。

打越__心に残っている事件はありますか?

篠田__幼少期に親族から性的虐待を受けていた方の代理人としての7年は、試練の連続でした。彼女は大人になってから重篤な精神疾患となり、裁判を続けることも厳しい状況でした。
そもそも時効の壁を突破するのがかなり厳しく、一審は敗訴。その後、打越さんに相談させていただいたんです。高裁に向けての闘い方について。

打越__東京でお会いしたのでしたっけ。
篠田__「一審からやっている篠田さんが理想とする弁護団にすればいい」など、色々アドバイスを頂きました。おかげさまで、高裁では時効の起算点を遅らせる形で逆転勝訴となりました。でも、彼女の被害は一生消えることはないし、現在進行形ともえる。本当に救えたのだろうかと苦しい思いもありながら、少しは人生を取り戻すお手伝いをできたかな、とも思っています。

打越__依頼者から逆に力をもらうこと、勇気づけられることも多いですよね。

篠田__そうですね。みなさんが力を得て元気になっていく姿に自分が励まされるというか、すごくやりがいを感じます。

期待されたのは、勉強よりも家事・育児・介護。それは私が女の子だったから。


打越__どんなご家庭で育ったのですか?

篠田__人口8000人くらいの小さな町で、商売をやっている両親、祖父母、姉と4人の弟たちの10人家族です。祖父母の介護、家業の手伝い、家事、弟たちの世話をするのが当たり前で、子どもらしい子ども時代を過ごした記憶はありません。
宿題をしていても、「茶碗洗ってー」「洗濯物たたんでー」と司令が飛んで来るんですが、弟たちにはない。家を離れてから、育児や家事がどれほど負担だったか、なぜ母はいつも辛そうだったのかを理解しました。

打越__大学進学で家を離れ、生きづらさは解消されました?

篠田__司法試験に受かって弁護士になって、ようやくジェンダー差別から解放されると思ったんですが、「なんだ女か、他に弁護士いないの?」とか、いろいろ言われました。
「舐められちゃいかん」と、常に緊張していて、鎧を着て仕事をしているような感じでした。素の自分で仕事ができるようになったのは30代後半になってからです。

打越__そもそもなぜ弁護士に?

篠田__理不尽なことが大嫌いで、弱い立場の人たちがいじめられているのが納得できない子どもでした。「手に職をつけないと」という母の教えも影響しています。法律は武器だと思ったし、ひとりで生きていくことになっても、子どもを産んで育てたいと思っても、続けられる仕事だと思ったんです。

もっと女性政治家がいたら、保育園に入れていたと思う。


打越__お子さんが4人いらっしゃるんですよね。

篠田__3人続けて産んで、4年間専業主婦をしていました。もう1人はちょっと後になってから。子どもを産んでからのほうが「理不尽の壁」を強く感じるようになりました。
「母はこうあるべき」というプレッシャーが社会のいたる所にあって、自分自身も「家のことは私が責任を持ってやらなきゃ」「母親なんだから我慢しなきゃ」と思っていました。
外出先でベビーカーを蹴られたり、図書館で「うるさい」と怒られたり…。
つらくても、夫や周りに「助けて」とは言えませんでした。
仕事に復帰しようと、2歳、1歳、4ヶ月の子どもを抱えての「保活」も大変でした。3人揃っては認可保育園に入れず、2歳と1歳の子は無認可に。当時の夫は、家に帰ってこられないほど忙しく、家事・育児は私一人。男性がめちゃくちゃな働き方を強いられているせいで、女性が1人でしわ寄せを受けている。「どうしてこの国は男性にこんな働き方をさせるんだろう」「どうしてこの国は、女性がのびやかに育児も仕事も続けられないんだろう」って、すごく思いました。

打越__女性が政治に参加することの意義って、どう考えますか?

篠田__女性政治家がもっとたくさんいたなら、私、保育園に入れていたと思うんです。
この社会で、女性はまだまだ多くの困難を抱えていて、これまで支援に関わったケースもすべて社会構造的な問題から発生しています。
そうした背景のない事件なんて一つもなく、重層的に絡み合っています。 色んな方の相談を受けてきて、年々その内容が本当にひどくなっています。
自民党政権は私たちに自助・共助を求めますが、もう限界です。この国のシステムから変えていかないと、一人ひとりの困りごとは解決しない。
女性やマイノリティが抱える困難を政治課題の中心にするには、女性やマイノリティの議員が増えないと始まらないと思います。

この地域は「なんにもない」じゃなくて、「なんでもある」


打越__篠田さんが総支部長となった北海道第7区は、どんな地域ですか?

篠田__海に面し、森と湖に囲まれた、とても住みやすい地域です。釧路市をはじめ13の自治体があり、漁業や農業、酪農など第一次産業がメイン。ですが、今年はサンマの歴史的不漁があり、コロナ禍で観光業もとても厳しい状況です。

打越__どんな方々が暮らしているのでしょうか?

篠田__みなさん本当に辛抱強いんです。冬の厳しさを経験しているからか、もともと豊かな町ではないからか、「みんな大変だよね、厳しいよね」というのがベースにあって、支え合って暮らしています。

打越__新型コロナの影響はどうですか。

篠田__観光客向けのお土産屋さんで非正規として働いている女性から雇い止めの相談があったり、建設業の方から倒産処理について相談があったり、もともと厳しいところにコロナ禍が追い打ちになっています。建設業の方は無担保融資を受けられたのでひとまず倒産は免れましたが、もともと借金を抱えた自転車操業。そこにまた借金をさせる政策しかメニューがない。対処療法的な政策ではなく、中小企業・個人事業主の税負担軽減や給付金など、根本的な支援が必要です。

打越__地域での声を聞いて、どんな気づきがありますか?

篠田__みなさん、「ここにはなんにもない」とおっしゃるんですが、私は「なんでもある」と思うんです。食べるものもエネルギーも、使える資源がたくさんある。過去の物差しではかれば「なんにもない」と思えるかもしれないけど、本当は「なんでもある」んです。
そして今のコロナ禍で、地域の力、自給自足の必要性について強く感じるようになりました。地球温暖化が進んで獲れなくなった魚もありますが、逆に、栽培できる野菜は増えてきている。もちろん、気候変動への対応も必要ですし、変化する事態を直視し、100年先を見据え、率先して次の手を打っていくのが政治の役割です。
この地域の産業が1つじゃないからこそ、大規模集約型ではなくて小規模でも続けていけるような支援が必要。
今は悪循環の只中にあるので、まずは所得補償も含めた経済的支援が最優先だと思います。

打越__若者や女性が都市に出ていって戻ってこないとか、高齢化の問題はどうですか?

篠田__釧根地域も同じ悩みを抱えています。高齢化率も高いんですが、支え合いの理念が根付いている地域でもあるので、介護や保育、障害者支援というような、人を支える業種でしっかり生活できる賃金を得られるようにすれば、ここで生きていこうと思う人も増えると思うんです。
そもそも、介護や保育などの業種の待遇が劣悪なのは、「女性の仕事」とされているからではないでしょうか。
もっと言えば、女性が無償でやるべきことだと。「自助・共助」と言われて、それを担わされるのはたいてい女性です。
日本は長く、男性を主たる稼ぎ手として、女性は家事・育児・介護をしながら家計補助的な働き方をさせるような政策を続けてきましたが、これはもう実態に合っていません。
税制や雇用政策も含めて、生き方を誘導されないような、一人ひとりにフェアな政策に変えていく必要があります。


一人ひとりの困りごとを、ちゃんと政治課題にしたい。


打越__私の地元新潟でも、すでにみなさん自力で頑張っておられる。
公助を待っていても仕方ないからと。自助・共助を求める政治を変えていく必要がありますね。

篠田____今まさに困っている、自助・公助ではどうにもならない一人ひとりの問題を解決するのが、本来政治の役割ですよね。弁護士として個人への支援も大切ですが、この数年、深刻な相談が本当に増えていて、個別の支援では追いつきません。もう黙っていられない、後悔したくない、という思いで政治の世界に挑戦すると決めました。

打越__ありがとう。決意してくれてうれしいです。議員になったら、何をしたいですか?

篠田__今、この瞬間にも、生きていけない、死んでしまいたい、と思っている人がいます。この国に生きる一人ひとりの困りごとを、どんな小さなことでも、着実に、迅速に変えていきたい。地味な作業ですが、これまでの政治が見て見ぬ振りをしてきた人たちに、光を当てていきたい。「個人的なことは政治的なこと」という言葉がまさに重要で、政治でなければ解決しない問題が山積です。

打越__身近な困りごとが国会につながっていることは意外と多くて、私もやりがいを感じています。困っている人の顔を想像できる議員がいないと、いつまでも後回しにされてしまう。

篠田__だから、みんなにもどんどん愚痴って欲しいんです。愚痴や泣き言って、否定的なイメージがありますが、困っていることを解決する第一歩だと思うんです。そしてそれは、一人だけの問題じゃなく、色んな人と共通することが多い。個人的な問題ではなく、構造的な問題だからですね。その1つ1つを国会に行って解決していきたいし、みんながどんどん愚痴れる社会にしていきたいです。